2012年10月31日水曜日

玉川温泉に行ってきます

本当は手術を終えて行くはずだったが、リンパ節転移が予想よりはるかに
多く、抗がん剤治療が始まった為に延期をしていた。

8クール目も無事に終わりそうだなという感じがしたので親と話し合い、
予約をした。

玉川温泉は酸性が強く、携帯が壊れると話を聞くので秋田に到着したら
携帯は一切使わない事にする。ノートPCその類いも持って行かない。

壊れているiPad2なら持って行っても良いかもしれないが、ルーターが
壊れるとイヤなので、やはり持って行かない。


私なりの目線で見て体感して来たいと思う。



2012年10月28日日曜日

抗がん剤が抜けるまで

Xelox療法が終わったところで気になる点がある。

副作用はいつ収まるのか。

このブログを更新している現在でも両手足の指先がしびれている。

メガネを持つと落としてしまう。
ペンを持っていても持っている感覚があまりない。
水やお湯でしびれる。

痛みは全くない。
感覚そのものがない。

ちょっと小走りしてみると膝から下の感覚がない。

痛みがないから苦しくはない。
感覚がないから力の入れ具合がおかしい。


まあ、半年間も薬を服用してすぐに抜ける事もないだろうが、
早く抜けてほしい。


主治医Bからは「抜けるまで結構時間かかりますよ」と言われている。


副作用が抜けてこそ治療が終わったとも思うので、なる早でお願いしたい。


目安が知りたいのでネットで検索したが、出てこない。

あとで 2ちゃんで検索してみるとしよう。


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2012年10月26日金曜日

Xelox療法 終わり

光陰矢の如し。

いや、Xelox療法に関しては、そうでもなかった。

やっと治療が終わった。

これで終わると言う逸る気持ちがそうさせたのか、病院に
いつもよりもかなり早く行ってしまった。車で5分かからないのも
あるが、それにしても早く着いた。

診察も予約時間よりも早く順番が来た。


CTの結果を見る。
特に多かったリンパ節には腫瘍が確認されなかったようだ。

右の肺に気管支炎のような炎症があるようだが、これは遠隔転移とは
関係がないようだった。

血液検査も肝臓の数値が平常ではなかったが、抗がん剤が抜ければ
元に戻るであろうという事だ。


結果、化学療法は終わりで良いとの事。



しかし、転移する可能性があるので油断はしないようにとの事。


いくつか注意もあった。

太らない、禁酒などだ。


あと、腫瘍マーカーでは私の腫瘍は見つけにくいらしいので、通常は
半年に一度行う検査を3ヶ月に1度やる事になった。
従ってこれで終わりではなく、来年年明けに検査を受ける。


あとは、社会復帰だ。
雇用保険の件で、主治医Bに書類を書いてもらわねばならず。
直接お願いすれば良いと思っていたが、窓口を通さねばならないそうだ。

診断書の類いを必要とした事がなかったので知らなかった。
思えば、病院に来ると言えば、風邪/喘息/蕁麻疹/胃腸炎くらいで
特に診断書を提出する必要なんて今までなかった。

あとは、インフルエンザか。


ちなみに検査と外来での結果報告についてだが、会計はなかった。
これは、ありがたい。

理由はよくわからないが。


これで大きな一区切りになった。
半年間、生の野菜と果物を絶っていたのでゴーサインが出て食べた。

別に以上に体が丈夫になる必要もないと思うが、せめて病気を患う前には
戻って欲しいと思っている。


2012年10月24日水曜日

全がん協の生存率データ

昨日、発表された全がん協会(全国がんセンター協議会)の生存率の調査データ。
本当は昨日ブログに上げようと思ったら昼頃にアクセスが集中して
断念。


それでも気になるもの。


見て気にされる方は、見ない方が良いと思います。

かんたんデータとくわしいデータで見られるようです。
自分の属性(年齢や性別)と病状や部位などを入力します。
くわしいデータの方は、入力情報に整合性がないとはじかれてしまうので
やりませんでした。

私もやってみました。
主治医Bから説明を受けた数字とは少しズレていますが、これは調査対象が
異なるからでしょう。


かんたんデータ

くわしいデータ






































2003までのデータですが、こちらにも生存率の一覧が
あります。

全がん協部位別臨床病期別5年相対生存率



復唱するが、これはあくまでデータに過ぎない。
何事もデータ通りになるわけではない事は頭に入れておく事が大事。


日本人の平均寿命が80代なのに100歳を超えて生きている人もいる。
また生まれてすぐ落命する人もいる。


自分が平均なのかどうかは、死んでみて初めて当てはめる事ができる。


ガンと言うのは関心事の一つなのだなと。
もしかしたら周りは言わないだけで、いろいろと気にしているのではないかと
感じた。


日本人の死因のトップなわけで2〜3人に一人はガンになる。
これで無関心であるはずがない。


もっと若い人にもガンの啓発と言うのは必要なのではないかと思った。
自分がガンにならなくても自分の親類がガンになれば、身近に感じるはず。


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2012年10月23日火曜日

検査へ行く

前回の外来での話通りに検査へ行ってきた。

採血とCTスキャンだ。

時間になったので家を出る。


病院は驚くほど空いている。
大きな病院とは思えない。

採血へ行く。
ここまでは今まで通りの流れだ。


ここも空いている。
いや、どこもかしこも空いている。


病院は混んでいるもの、それが私の認識だったのだが。

患者が少ないのは、結構な事と言えば結構な事だ。


さて。
採血は、やはり血管が見つかりにくいらしく手の甲での
採血となった。
今回で暫く会わないと思えば、我慢する事にした。


その後は、止血を待ってCTスキャン。


この検査にいたっては、造影剤という薬を打つ為に同意書が
必要だ。
薬の作用で熱っぽくなったりするようだ。


実際に部屋に通されて投与されたところ1分もしないうちに体が
熱くなってきた。
検査自体は、10分もかかっていなかったと思う。

造影剤を早く抜く為に検査後は水分をたくさん補給した方が良い
みたいだ。


それにしても会計がゼロ円だった。
明日の外来で合算して請求されるのだろうか。


正直、結果が怖い。
この病気の流れで「思ったほど悪くなかった」という事態
なかったからだ。


果たして遠隔転移はしているのだろうか。



2012年10月17日水曜日

雇用保険の延長申請

職安に行ってきた。

雇用保険の延長申請をした方がいいと言われたので
申請書を記載した。

先週の話のわからないおっさんだとイヤだなと思いつつ、
今日は若くて対応がしっかりした人で一安心。

特に記載した書類自体には不備がなかったようだが、
療養していたエビデンスが必要であるようだった。
まあ、当然と言えば当然なのだが、上記のおっさんに
「診断書とか何か必要ですか?」と聞いたら「いらないです。
離職票だけでいいです」と言っていたので病院関係の物は
何も持って行かなかった。

診察カードでもよかったらしいが、財布にいつでも入れていると
思われたのだろうか。

とりあえず若い人に先週の人に言われた通りにしたとチクって
診察カードのコピーを郵送する事になった。
まったく迷惑なおっさんだ。


きちんと説明すれば、持って行ったものを適当だから職安側は
封筒1枚無駄になり、私は切手代が無駄になる。しかも封筒は
税金から購入したものだろう。
細か過ぎるが。


ともあれ次回、職安に行く時は休職の申し込みだ。
その際、主治医Bに書類の記載をお願いしなければならない。


来週の今頃には治療は終わっているはずだ。

8クール目の休薬期間

これは、実質的なXelox療法の終了を意味する。

ピドキサールは来週まで飲み続けるが、これは厳密にはビタミン剤なので
抗がん剤は今朝で終わり。

半年間、一度も1錠も減らさずに6錠ずつ飲み切った。

長かった。

あとは副作用が抜けるのを待つだけ。

来週、主治医Bに聞いてみるが、生の果物と野菜がいつになったら解禁になるのか
確認してみる。

めざましテレビの大塚さんが退院したようで驚いた。
11ヶ月も入院して抗がん剤治療をしていたとは。

大塚範一キャスターが退院!“めざまし”で復帰へ意欲


これは抗がん剤経験者ならわかるが、かなり辛い事だ。
ましてテレビの世界から入院生活を余儀なくされていたわけだから
イライラしていたのではないかと想像してしまう。


ただ、めざましテレビに復帰できるのだろうか。
早朝に起きて生放送をするわけだ。
加えて年齢的なところもある。


単発のテレビ出演なら問題なさそうだが。


と、人の心配をできるほどのたいそうなご身分でない私も次の手を
考えなくてはいけない。
親は「のんびりしていればいい」と言ってくれているが、正直焦る。

金がないのが大きいのかもしれないが。


今は少しずつ療養中に考えていた事の布石を打っている感じだろうか。
一応、水面下では動き始めている。


とは言え10月の半ば。

動き出したら、あっという間に年末になるだろう。

ともあれ今日で大きな一区切りだ。

2012年10月15日月曜日

職安に行ってきた

社会復帰を考えねばならない時期かと思い、職安に行ってきた。

手足がしびれているので、あまり歩きたくないのだが駅から中途半端な距離に
あるので仕方なくゆっくり歩いて行った。

聞きたい事は、2点。

雇用保険の延長は可能か

体調に不安のある人の就業状況


前者の方は可能。
後者の方は、企業による。

想定通りの展開だった。


雇用保険は、相談員の説明がへたくそで何回聞き直しても噛み砕いて説明を
しない。
公共機関にありがちな事務ロボットだと感じた。

こういう人がいなくなり、席が空いて職安にいる求職者の何人かがその職に
就ければとよいのではないかと思う。
そもそも窓口業務で口を開けたらタバコの匂いがプンプンするなんてあり得ない
だろうと思う。
銀行とか携帯ショップでそんな奴いないだろう。


延長手続きを早くすればよかったと言われたが、そんな事はない。
離職前に内定が出るはずだった。本当に直前だった。
他の企業の話も実は進んでいた。

「たられば」は良くないが、あのまま就職していたら今頃は海外出張に行っていた
だろう。アメリカと韓国が多いようだが、実は楽しみにしていた。
自分を鍛えるのに会社の金で海外の企業と接触するのだ。

だが、その後悔も薄れてしまった。

それだけ自分にとって半年は長かった。
仕事をしていると半年どころか1年なんてすぐに終わる。
この半年は本当に長かった。昔から療養生活をしている気分になっていた。

最近では、週に2回ほど家の掃除をしている。
掃除と言うか不要なものの整理だ。
最近では、断捨離なんて言うようだ。

そうすると、昔の会社を辞める時に同期からもらった寄せ書きや業務資料が
出てきて「自分は紛れもなく会社員として働いていたのだ」と思い出させてくれる。
もっとも業務資料が家で見つかるのは問題があると思うが。個人のメモ書きなので
家にあったのだろう。会社もPマークを取得しようなんて殊勝な心構えのある企業では
なかった。


人間は環境に順応してしまう。
こういう生活に慣れてはいけない。
自分の人生は、すぐには終わらない。体力も知力も気力もまだある。
整理作業をする事により、いろいろな物が出てきて自分は紛れもなく健康な生活を
送ってきたのだと再認識させられた。


本当に価値観が変わった。

でも、まだガンに感謝しているなんて言葉を発する事はできない。
心から言える人は、本当に強い人だ。
最初はガンを恨み、今は早く決別したい気持ちだ。
しかし、リンパ節にこれだけ転移している以上、完全に決別は見込めないと思う。
主治医Bからも完治は相当難しいと言われている。


話を戻すが、延長手続きを今週行う。
何故、必要なのかの説明がないので次回行く時は、別の相談員にしてもらう。
申請書に病名など記入する欄があるが、この間のおっさんだと大きな声で読み上げ
そうだから、若くて業務情報をきちんと扱える人にお願いしよう。


来週が検査だが、終わってから動くよりも並行して少しでも早く社会復帰したいと
考えていると思う。

2012年10月10日水曜日

次の布石を考える

副作用も抜けつつある。

両手両足の指先はシビレている。

左ひざも痛い。痛いと言うよりも変に曲がっているような
感覚がある。伝わりにくいだろうか?ランナー膝の症状と
言えば、おわかりになる方が多いだろうが。

喉の違和感がなくなると副作用終了のサインとなる。
あくまで私の場合だ。
今回は手の薬指がしびれている。
続くのだろうか。

さて。

次の展開を考えなければならない時期に来たと思う。
そろそろ貯金もボトムが見え始めてきた。
一応、もしも用の口座もある事はあるが、なるべく手をつけたくない。


私の次の展開、それは「社会復帰」である。
まずはバイトで探そうと思う。
いきなりフル勤務は自信がない。

何せ半年以上も俗世間から1歩距離を置くような生活をしている。
幸いSNSがあるおかげである程度のコミュニケーションは取れていると
思うが。


まあ、今年度くらいはバイトで徐々に慣らし運転をしていければと
思う。

「いわゆる」IT業界に身を投じてきたが、もう戻る気がしない。
体力的な事もさる事ながら移ろいやすいトレンドに業務レベルでついていくのは、
大変だ。趣味レベルなら楽しめるし、ストレスもリスクも少ない。

仮に会社を辞めずにいて復帰できたかと言えば疑問が残る。
きっと迎え入れてくれなかったと思う。


いささか古いが、こういう現状には納得できる。


がん患者は社会復帰を望む
患者が自己コントロール感を取り戻して自立するソーシャルサポートを


敢えて乱暴な表現をするが、生き残ってしまう方がリスキーなのだ。
生きていても社会復帰できないのなら何故手術で生かそうとするのか。
矛盾があるように思える。

空気感染などするような病気ではなく、日本人の二人に一人の死亡要因にも
なっている。


研究が進んでもその後の復帰に進展がなければ、おかしい。


確かに私も病気になる前は、こんな事考えなかった。
そもそも自分の近くの同年代でガンになる人間がいなく、大体は親もしくは
祖父母世代の病気だと思っていた。


芸能人のイメージが強いのだろうか。
ガン=死というイメージも
手術後に復帰というイメージも
私は芸能人のイメージが強いのではないかと感じている。


愚痴っても仕方がないので、次を模索する事にした。
今年は車検があるのが大きな出費となった。


Xelox療法もあと2週間で終わりだ。

前向きに考えれば次のステージを行く時期という事だ。

2012年10月7日日曜日

8クール目 開始

ようやくXelox療法の最終章に来た。
8クール目、つまり半年の治療の最終コーナーだ。


前回の点滴が割と副作用が軽かった為、また今回も同じように
してもらえるのではないかと思い、気が軽かった。

だが、それは甘かったと感じさせられる事になるが。


いつもよりも早く行くつもりだったが、結局はいつもと同じくらいに
なった。

採血をし、いつも通り血管が見つからないと言う事で手の甲で採血された。

この看護師のスキルの差と言うのはどうにかできないものか。
経験年数で違うが出るのは仕方ないが、どう見てもベテランだろうという
人ですら下手な人がいる。

来る患者全員が血管くっきりなはずがない。
血管が見えるなら素人でも採血できるのではないかとすら思う。
何の為に専門学校で専門教育を施されているのだと感じるのが、
この採血の瞬間だ。


採血の後、血圧を測定したが、上が160弱と高い。
自分でも驚いた。
到着して採血して止血の為に5分くらい安静にしていたので、来たばかりで
呼吸が乱れていると言う事もない。


いつも通りに診察を受ける。

主治医Bに足の痺れを報告した。
休薬期間でも痺れる事、そして左の膝が動かしにくい事も合わせて伝えると
少し笑みを浮かべながら回答を口にした。

本来ならば、手足の痺れは、もっと早く出るそうだ。
副作用が強くなり、耐えられずゼローダの量を減らしたりして治療を進める
らしいが、私の場合は症状が出るのが遅いとの事。

ほとんど他の副作用も見られない事からゼローダの量は減らさずにこのまま
最後まで突っ走りましょうという事になった。

左膝の方はガンとの相関関係は今のところ考えにくいそうだ。


確かに2クール目の時に薬剤師から薬の量を減らさずに終える事が最大の目標
と言う話をしたのを思い出した。


8クール目の終了と合わせて検査をする事になり、日程も決めた。


診察が終わり、治療室から呼ばれるのを待っていると看護師が私を探している
ようだった。
ただ、私の名字はありきたりで見慣れない看護師が名字しか呼ばない。
多分、私の事だろうが、様子を見ていた。
周りが全く反応しないので、私の事だと思い、手を挙げて話に応じた。

検査の連絡等をしたかったようである。

治療室の前で話をしていたが、私は病気の事を人のたくさんいる場所で話を
したくなかったので、「治療室で話を伺ってよろしいですか」と切り出すと
この部屋は抗がん剤を受ける人しか入れませんよ!

と大きな声で言い出す。

非常識なバカ看護婦である。
患者の個人情報一つ守れないのか。

彼女の言い訳は、私が本人でなく家族だと思ったらしい。

治療室に入り「いろいろな人が通る場所であんな事言わないで欲しい」と
言った。
ひたすら謝っていたが、許し難い。

地元の病院であんな事が起きると腹立たしい。
バカをいつく付けても足りない看護婦だ。


そのやり取りを見ていた治療室の看護師は私が怒るところなんて当然見た事
ないからその後気を使っているのがわかった。


最後のエルプラットの投入なわけだが、前回刺した場所が見つからないとの
事で手首近くに刺された。
医療の世界はわからないが、通常こういった事には再現性が求められる。
何の為に臨床試験をしているのか。


あとは、いつもと同じである。


看護師には守秘義務と再現性の追求をしてもらいたいものだ。


最近、撮影した私の手の甲をアップしておく。
















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画像でどこまで伝わるかわからないが、色素沈着を起こしている。
ホクロやらシミが多い。


Xelox療法の総括は、休薬期間を終えてからにしたい。