2012年4月30日月曜日

緊急入院〜内視鏡など

貧血で緊急入院した。

「えっ?!学年集会じゃあるまいし」と思う間もなく
点滴を打たれた。

食事禁止、飲水可 の状態。
点滴は食事の代わり。



深夜の入院の為に身動きできず、観念して寝る事にした。


ちなみに車は病院の駐車場に置かせてもらった。
退院まで置かせてもらう事になる。


明け方の2:00過ぎだったので、母をそんな時間に帰す事は
抵抗があったが、やむを得ない。

動けない。
ベッドから一人で動いてはいけない状態だったのだ。
次の日に「売店行ってもいいですか?」と聞いたら看護師から
「とんでもない!トイレ行く時もナースコールしてください」


そんな危険なのか?

知らなかったのだが、貧血は本人は「慣れてしまう」らしい。
確かに年明けくらいからフラフラする事があった。

ただ、ダイエットで食事制限もしているし、忙しいから疲れた
かと思い、気にしてなかった。寝れば治るだろうくらいの認識
だった。


早速、朝から内視鏡の検査だ。
胃カメラは初めてだった。

車いすで検査室に連れて行かれた。

麻酔を口に含んで検査開始。


辛かった。
涙も鼻水も嘔吐も口と花から出る液は全て出たのではないか。

思ったよりも太い管という印象だった。
技術が進んで細くなったなんて聞いていたが、以前はこれより
太かったのか。

看護師が薬を忘れていたのか医師が看護師に対して怒っていた。
勘弁してくれ。
本当に痛くて苦しかった。


病室に戻る。
深夜の入院だったせいか、胃カメラで疲れたのか寝てしまう。
喉が痛かった。

母が荷物をいろいろ持ってきてくれた。
申し訳ない。
でも、助かる。

ちなみに入浴は入院中は不可能である事をこの時点では知らなかった。

とりあえず1日1回検査する以外は基本的に放置されている。
食事も出ないし、テレビも見る気がしない。

早く帰りたい。
3月いっぱいの予定が消化できなくなる。

iPhoneで可能な限りメール対応した。
返信をするのは、PCに限る。もしくは専用のキーボード。


とにかく身動きができない。


次の日、朝から下剤をたんまりと飲まされる。

腸内内視鏡だ。
便を出せるだけ出して腸の中を奇麗にしないといけない。

トイレには何回か行った。
この時の1回でトラブルが起きる。

トイレでお通じを出すと、看護師さんを呼んで確認をしてもらう。
ナースコールで来た看護師が「大丈夫ですか!」と大きな声を出した。


何が大丈夫なのかピンと来なかった。
顔色が相当ヤバかったらしい。


確かにフラついていた。
手を洗うのもやっとだった。


看護師に付き添われて歩いて病室に帰ると伝えた。
ところが、あと2メートルくらいのところで動けなくなった。
自分の手を見るとモノクロになっていくのだ。
初めての経験だ。死ぬのではないかと思った。

看護師さんが椅子を持ってきてくれて休ませてもらった。
その後、車いすで急いでベッドに運ばれて安静にしていた。

本当に怖かった。
血液がないのが、こういう事態に繋がるとは貧血侮るなかれ。

昼前に腸内内視鏡だ。
胃カメラと同じ検査室に行った。

お尻に管を入れられてグリグリいじられる。
情けないし、気持ち悪い。たまに痛い。


終了。
病室に戻る。

でも、食事も何もない。
せいぜい水とポカリを飲めるくらい。


やはり検査は疲れる。
あるいは体力が低下していたのかもしれない。

見舞いに、祖父と叔父夫婦が来た。


90歳の祖父に見舞われるのは、孫としては何とも情けない気分に
なる。


まだ検査を明日残しているようだが、検査結果で病気が判明する事になる。
主治医より部屋に呼ばれた。

いるのは、私一人。


人生初の「宣告」になる。





































































2012年4月29日日曜日

事の始まり

春分の日、3月20日。

普通にうどんを食べた。
1時間もしないうちに激しい腹痛にみまわれた。
へその下あたり。頭痛もしてきた。吐き気も我慢が
できなくなってきた。

きっと体を温めればどうにかなると思い、シャワーを
浴びた。

ダメだ。

嘔吐が始まった。
何度となく繰り返される。

元来、病院嫌いの私は病院に行かずに具合が悪い事を
出勤中の母にメールして寝ていた。
夜になり、母が帰宅し、私の部屋に来た。

顔を見るなり「早く病院に行きなさい!」と叫ぶような
声で言った。
それでも首を縦に振らなかった。それに動けないのだ。

車で運転していく自信がまるでなかった。


母が言うには、私の顔色が尋常でないらしく、確かに
この状態は普通ではないと思ったので、自分で車を運転
して急患に行った。


病院内で問診を受け、熱をはかり、血液検査もした。
病院の人が焦り始めたような印象を受けた。

かなり危険な状況だったらしい。
ヘモグロビンという体内の血液量が2/5以下に減っていた。
貧血だったが、輸血を要するレベルの貧血だったのだ。

貧血に関しては、母は猛反対をした。
輸血に際して起こりうるトラブルを懸念していたのだ。
せめて造血剤を使ってもらえないかとも懇願していた。

造血剤は血液を作るのに時間がかかる。
私の状況では、とても追いつかないそうだ。

私も事の重大さを感じてきた。

そんなにヤバいのか。

CTスキャンやレントゲン等どこから出血をしているかの
検査が行われた。

これは深夜の出来事である。

状況はわかったので、明日外来に来るので今晩は家に帰してほしいと
話をしてみたが、病院からは「危険な患者を帰す事は医療的に間違えている」
と言われ、緊急入院となった。

文章と書くと簡単だが、入院を決意するまでは、かなりごねた。
いつ帰れるかわからない予定など入れたくなかったのだ。


深夜の入院となった。