2013年1月24日木曜日

助けりゃいい、とは

立川談志が死んだ時に急遽差し替えられて放送された情熱大陸の冒頭の部分。
36〜37秒くらいのところだろうか。



こいつら死と言うものを考えた事ないくせに
ただ助けりゃいいと思ってやがる


自分が患うまでは意味がよくわからなかったが、今になって考えてみると
深いと感じる。


談志の真意なのかは自信はないが、自分なりに考えてみると
病院は悪い部分を取り除くだけしかしないというふうに解釈できる。

換言すると、患者の生きる事/死ぬ事には関与しない。

当たり前だという意見があるかもしれないが、これは自分が患ってみて
生死を考えてみないと、意外とわからないかもしれない。


もっとの別の表現を考えてみると、
手術あるいは治療をして患者がどう生きていこうが関係ないのだ。

私を例にすると、現実に社会復帰に困っている。
しかし病院は手術と治療を終えると関与しない。

せいぜい次の検査の連絡をするくらいで転移あるいは別の疾患があれば
再び関与してくるわけだ。


生き残った俺はどうすりゃいいんだ?
そういうのを考えて治療してないだろ?


こんな感覚なのではないかと思う。


周りは「手術うまくいってよかったね」「経過が順調で何より」という事ばかりを
言う。

患者の目線から言えば、違うのである。


自分の人生だから自分の責任で生きるのは当然だが、自分の責任で生きている
人生に事務的に医療で関わってきて終わったらすぐに身を引く。

患者がどう生きていくべきか?あるいはどう死んでいくべきか?などは
お構い無しだ。


談志は、そこに苛立ちを感じていたのではないかと今になって思う。
お前らに俺の苦しみの何がわかると言いたかったのではないだろうか。


ガンは医療的な点ばかりが注目されるが、患う事により生活が一変するし、
破壊もされる。
社会復帰するところまでが、完治なのではないだろうかとも思う。


私で言えば職に就く事だが、先日の患者の集いに行った時には老後の死に至るまでの
生活の話になり、なるほどなと感じたものだ。


ガンに限らないだろうが、患ってからの生き方の方が問題であると考える。



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