2013年6月23日日曜日

入院10日目 退院

通常、退院は回復具合を見て医師が判断する。
怪我はわかりやすいだろう。


しかし、私の今回の入院は先が見えない。
薬を使って血液の値を見ており、退院後に再度投与する事で
下がる事が充分に予想されるからだ。


どの時点で退院すれば良いのか明確に見えない。

だから主治医Sは、いつ退院したいか聞いてきたのだろう。
一応は、血液検査で問題がなかったようだ。


看護師にうっかりこれ以上入院が長引くと方々に電話をしないと
いけないと言ってしまい、これが主治医Sの耳に入ったのではないか
と思う。


私は退院を決断した。

3食昼寝つきで点滴も取れたら楽な生活ではある。
それは良くない。

自分の足で歩きたい。


退院の準備をしていた。
考えてみたら私は10日間、靴を履いていなかった。
ずっとスリッパで用が済む生活をしていたという事だ。
久々に履く靴は、おかしな感触がした。


着替える。
土曜だったせいか、会計等の事務処理が遅い。
平日ではないので概算払いで後日清算となる。


全部済ませた。


帰る。


ナースステーションに主治医Sがいて挨拶しようかと思ったが、
あまりベタベタ近づくのも失礼かと思い、声をかけずに病院を
出た。
恐らく主治医Sも私には気づいていたとは思う。



病院からタクシーを拾う。
ここの病院に常駐しているタクシーはドライバーの質が良くない。
前時代的と言うか、殿様商売と言うか。
病院でひっきりなしに客がいる状態ではレベルを上げる必要もない
という事だろう。


私が乗車したドライバーも運転がかなり下手だった。
何故わかるかと言えば、普段私が走ってる道を走行させたからだ。


昼前に帰宅。
久しぶりである。

退院して帰ると、時間の流れを微妙に感じる。


退院するとまずシャワーを浴びるのが慣例になりつつある。
病院のシャワーは水圧は申し分なかったが、狭い。


慣れた場所で慣れた動作をするのが良い。
それに外がこんなに暑いなんて体感できなかった。

食事の時にテレビを見て台風やら河川の氾濫を見て驚いていた。
他の見舞い客が口を揃えて暑い暑いと言っていたが、入院患者は
ある意味で守られているので今シーズンに関しては梅雨の洗礼を
受けずに終わるのだろうか。


左腕がしびれて黒ずんでいる。
ポートの関係で負荷がかかっているのではないかとの事らしい。
廊下を歩いていると看護師から「腕の色が違いますね」と言われるほど
はっきりとわかる。


血流の関係なのだろうか。
立っている時以外は、しびれはそんなに問題ない。

立って歩いていると辛くなる。

溲瓶を持つ時、シャワーを持つ時、帰宅してハヤシライスの皿を持つ時、
洗濯物を干す時。
しれている。


様子見が必要かもしれない。


お通じは、問題なく出ている。
少し出にくいが、下痢でも便秘でもない。
色も少し黄色に近い茶色だ。


脱毛は、とりあえず大量のはない。
枕にタオルを巻いて寝てみたが、1〜2本毛がついている程度だった。
入院中は2日に1回しかシャワー浴びてなかったので頭皮が清潔な状態
じゃないので抜けていたのではないかと思う。
と言っても6〜7本なので許容範囲ではないかと考えている。
人間は1日100本脱毛すると聞く。
問題はその後生えてくるかどうかだが。


今は、左腕だけで良しとしておく。


2週間に一度という事で生活のリズムを作らないといけない。



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2013年6月21日金曜日

入院8〜9日目 吐き気に耐える

抗がん剤をする時の自分なりの心得。
それは投与中は動かない。

当たり前と言えば、当たり前だが、動きがそんなに制限されている
わけではないので普通に動いてしまう。

だが、ひたすらベッドで寝て時間が過ぎるのを待っていた。


吐き気が強くなってきた。
吐きそうで吐かない、そんな状態が続いている。


頭も痛くなってきた。


副作用の洗礼を受けている実感がする。


手足のしびれも強くなってきた。
元かたしびれている上で強くなってきた。


これは、耐えるしかない。
気持ち悪いのはガムを噛んでごまかしていたが、ガムを噛む気が
しない。

この吐き気がする期間は、酸っぱい味やミント系の香りはキツい。
油物でごまかすくらいがいい。
栄養には悪いが、「感覚をごまかす」という意味においてだ。


見たくもないテレビ付けていたり、iPhoneでYouTubeを見たりして
気を紛らわせる。


吐き気止めをもらったが、あまり効いている感じもしない。


どうしたら風邪薬なみに楽な抗がん剤が目の前に現れてくれるのだろうか。


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2013年6月20日木曜日

入院7日目 アバスチン第2弾

血液検査に問題はなかった。
そもそも白血球と血小板の数値が下がって入院したので
事と次第によっては投与ができない場合があった。

数日間、抗生剤を投与していたのが良かったのか。


アバスチン決行だ。


11:00から点滴を始める。
本来ならば外来で点滴をするはずだったが、予定が変わり
ベッドで行う。


点滴は5時間くらいかかった。
途中、昼食を挟んだが、完食。
いや、正確に言えば、牛乳は残した。
牛乳を飲むと腹が下る。
下痢の副作用に拍車をかけると大変なので念のために飲むのを
控えた。


絶対に動けなくなると見越していたので、ベッドで寝る準備をしていた。


何も起きずに5時間が経過し、点滴が終わった。
痰がからむ、気持ち息苦しい感じはしたが、ガムを噛んでいるせいか
感じない。
ガム噛んでいるのは口寂しく、体の水分を出そうかなという程度の理由だ。


残りはインフューザーポンプと呼ばれるボトルを38時間ほど首から
ぶら下げる。
38時間、だいたい1日半と見ていい。
5時間前後は誤差の範囲だそうだが、前回は38時間では終わらなかった。


計算でいけば、明後日の早朝に終わる。
そこで退院になるのだろうか。

それが自然な流れだろう。
明日、帰宅して明後日また来るよりは続けて入院した方が良い。


ブログ更新時点で軽い吐き気があるような気がするが、気分的なものなのか
わからない。
何せ点滴室のソファーを見ただけで吐き気を起こすくらいだ。
完全にバブロフの犬状態だ。


このボトルをぶら下げ続けている今晩から明日こそが正念場なのかもしれない。





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2013年6月19日水曜日

入院5〜6日目 住めば都

着替えを洗濯するようになると、意外と生活が馴染んでくる。

本来ならば自由の利かない空間で窮屈だ。
だが、今のところ点滴につながれるのは30分程度。
食事制限なし。
手術して動けないわけではない。

裏を返せば3食、シャワー付きの生活を満喫しているように他の
看護師や患者からは見えるかもしれない。


それは抗がん剤を投与するまでの話。


投与したら動きが圧倒的に落ちる。


病室を変えてもらった。

理由は2つ。
シーツ交換の際、患者は部屋を出てくれというので出ていた。
戻ってみたらスペースを狭くされていた。
元のスペースに戻したのが病院側の主張だが、私は知らないし、
何より不在の間にされた事に腹が立つ。

6畳の部屋に住んでいてハウスクリーニングするから一時的に
外出して戻ったら4畳半になっていた。
どう思われるか。

あと一つは、今日入院してきた患者が背が高いせいかカーテンから
私のベッドを覗いてくる。
PCのカタカタ音が気になるのかもしれないが、覗くのは御法度ではないか。

カーテンの隙間から偶然見えたのとはわけが違う。


ましてどこも満室というわけではないので我慢する筋合いもない。
明日退院なら我慢はするが、明確な退院日が決まっていない現段階では
変更の申出は筋が通ってないわけではないと思う。


その空間で過ごすのは医師でもなく、看護師でもなく、見舞客でもなく、
患者だ。

この抗生剤漬けの生活も明日で終わり。

今度の投与は、どうなる事やら。



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2013年6月18日火曜日

入院4日目 一時帰宅と入院延長

はっきり言って退院ならいつでもOK。

そんな体調まで持ち直した自覚がある。

でも、熱の原因を調べている事と主治医Sの不在、そして2回目の
アバスチンの投与日程が近い事を考えると、このまま退院が先延ばし
になるのではないかと感じている。


病院側から考えてもこのまま入院させておく方が良い。
白血球の値が下がり続けると次の投与ができなくなるので、このまま
抗生剤を打ち続けていた方が流れがいい。


覚悟した。
きっと長引くであろう。


腹をくくり、ちょうど母が来たので病院へ一時帰宅の届出を出して
帰宅した。
夕方には帰らないといけない。


ノートPCや私にしかわからない荷物を取りにきた。

昼食は家で済ませた。
食事制限がないので、この辺は本当に助かる。


少し休憩をしてから祖父の家へ行く。

ここ数日間、私と連絡が取れない事で不安を感じているのか親戚中に
電話をかけまくっていたらしい。
入院中にも携帯に電話が来た。
が、採血の真っ最中で出られるはずもなく、切ってしまった。


入院している事を説明し、家を後にする。


病院へ戻ると主治医Sがいた。

話をしてみると、案の定だ。
次の投与の日が近いので少し入院を延ばす事にしようと。
私もその覚悟で荷物をいろいろと持ってきたので宜しくお願いします
という事になった。

シャワーを浴びられて洗濯ができる環境であれば、負担はさほどない。
私の帰りを待つ仕事場もなし。


こうしてブログもベッドの上から更新できる。


というわけで腹をくくって入院が延長する事になった。



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2013年6月17日月曜日

入院2〜3日目 熱が下がらず

何をしていても頭が痛い。

熱が収まらない。

いや、急患で処方された薬があるはずだ。

出てこない。

急患云々の文脈がなくても熱があれば、頓服剤くらい
出すはずなのに出てこない。


熱の原因がわかるまで下げないようにしているらしい。
確かに原因を追求するのは大事だが、辛い。


それでも何を聞かれても「頭が痛い」としか答えない
私を見るに見かねたのかようやく頓服剤が出た。
その間、実は主治医Sは出張で病院を空けているそうだ。

話を聞きたくても聞けない。


ようやく入院3日目にして熱が下がり始めた。
熱の原因はどうなのだろうか。
採血もしたし、退院する頃までには教えてもらえるのだろうか。


熱が下がったが、頭痛はまだある。
高熱の後遺症なのだろうか。
二日酔いのように頭が割れそうに痛い。
特に右を向きながら体を寝かすとズキズキする。


ともあれ熱が下がった事で吐き気も収まった気がする。
頭痛は少し続くが、まず一区切りといったところか。

熱と吐き気で外来に来たのだが、これで退院の目処がついたの
だろうか。
でも、主治医Sがいない以上は退院はあり得ないだろうし。




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2013年6月16日日曜日

外来、そして緊急入院へ

朝、目が覚める。
スッキリした。
昨晩のアレは何だったんだ。


そう言うつもりだったが、頭が痛い。
38度を超えている。
薬が切れているからだと思うので朝食を取れるだけ取って
残りの薬を飲んだ。

落ち着いたので少し寝る。

母は心配で外来に行ってはどうかと言う。
主治医S担当の曜日で今日だが、熱もあれだけあったので
行ってもいいかと思った。

入院になる心配はなさそうだ。
CTなりMRIなり検査してもらえるなら検査した方がいい。

そう思い、少し寝かせてもらう事を条件に外来に行く事を
承諾した。
当日受診だが仕方あるまい。


時間になり病院へ。
昨晩とは違い、駐車場へ入れない車で溢れている。

私は先に降りて受付を済ませ順番を待つ。
予約が優先なので最悪は午後になるのを覚悟した。

薬が切れてきたのか頭が痛くなってきた。
寒気もする。
病院の中が寒く感じた。
でも周りを見ると私と同じような服装でテレビを見て
順番待ちしている人もいる。

熱があるのかもしれない。


母が合流。
私を見るなり、外科受付へ話をしに行った。
どうやら具合悪い人優先で進めてもらおうと思った
のだろう。

呼ばれた。
でも診察ではない。

奥のベッドへ寝かされた。
毛布もかけられた。

数分すると、担当日でない主治医Sが現れた。
いろいろ説明を受けて入院するかどうか聞かれた。

帰宅する方向で話をしたが、母と話をさせてくださいとお願いし、
話をした。
入院が決定した。
ちょうど退院患者が多い日だったらしく、ベッドは空いていた。
ストレッチャーで病室まで運ばれる。

つい数日前まで入院していた病棟に戻ってくる事になった。

検温。
38.8度。

インフルエンザになった時くらいしか出ないような温度だった。


採血をし、点滴を受ける。


と言ってもこの状態を治す点滴ではなく、抗生剤だった。
熱と吐き気の原因などを調べる為に対処はしないらしい。
当然、持参した急患の時の薬は出てこない。


水を飲むのがやっとだ。
出された晩ご飯は、パイナップルくらいしか食べられない。


着替えを取りに帰った母が来て部屋着に着替えた。


あまりにも寒いので電気毛布も出してもらった。


ようやく眠りにつける状況だった。

就寝時間には点滴は全て取れたが、思わぬ形で入院生活が始まる。


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2013年6月15日土曜日

激しい頭痛と吐き気で急患に行く

退院後の便秘も1〜2日ほど続き、イヤな汗をかきつつ
ようやく解消。

これで次の点滴までは、通常生活かと考えていた次の日。


晩ご飯をすませ、数時間したら体に震えが来た。

震えが止まらない。
布団にくるまり、数分したら寝てしまった。
目が覚めた時には震えはおさまっていた。


頭が痛い。
以前から痛かったが、激痛が走る。
歩くとフラフラする。


そうこうしているうちに母が帰ってきた。
体調悪い旨を伝える。
検温すると38度を超えていた。


これはダメだ。
迷わず急患へ電話した。
母は救急車を呼ぼうと言っていたが、時間がかかりすぎる。
場合によっては他の病院に搬送される可能性もある。
かかりつけの病院に行かなければ意味がない。


急患に電話を入れて行く。
急いでいたとは言え、今思えばTシャツ1枚で行ったのは
判断ミスだった。

待っている間に震えが出てきた。
止まらない。
奥歯が痛い。

毛布を借りる。

採血と尿検査をした結果。
白血球と血小板の値が下がっているそうだ。
問題のある範囲ではなく、必要があれば入院との事だったが
問題ないのであれば大丈夫だと思い、薬を処方してもらう事
にした。


その晩は、それで収束した。




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2013年6月10日月曜日

入院4日目 〜退院

またもや眠れなかった。
今度は窓際の隣の人が夜中に呼吸困難になり、看護師などが押し掛けていた。

処置室に移動してくれたらいいのにと思ってしまう。


今日、退院だ。


シャワーでも浴びて帰宅しようか考えていたが、帰宅してからにしようと思った。

アトピー持ちの私が3日も入浴しないのは肌に良くない。
粉もふいているし。


手続きを済ませる。
案の定、待たされたが、支払が確定してからが前の病院と比べると早かった。


3泊4日で9万弱。
この保釈金を支払い、病院を出る。

病院前は送迎の車で行列ができている。
町中という場所柄、有料にしておかないと関係のない人が駐車するのではないかと
思う。
ここは前の病院の方が金はかからなかった。


母が運転する車で帰宅する。
90過ぎた父親の面倒を見る為に中古車を購入した母だが、まさか抗がん剤治療を
再開した息子を迎えに来るなんて想像もしてなかっただろう。
女性ドライバーが少ない時代に免許を取った母だが、15年以上のブランクがあるせいか
かなり怖かった。
吐き気もおさまってなかったのでキツかった。


11:00前には家に着く代償だったのだろう。


まずシャワーを浴びた。
粉ふいているのは承知だったが、入院中に引っ掻いてしまった箇所がアザのように
なっているのは初めての経験だ。
抵抗力が落ちているせいなのか。
今度、皮膚科の外来に行くが、その薬で治るのだろうか。

痛くもなく、かゆくもなく、染みもしないので構わないが。


入浴後、昼食にした。
ハヤシライスを用意していてくれたが、ジャガイモと人参が食べられなかった。
飲み込む力が弱っていたのだろうか。


そのままDVDを付けながら一眠り。
帰宅した安堵感も間違いなくある。


この時点で吐き気はおさまっていない。

はっきり言って左半身がボロボロだ。


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2013年6月9日日曜日

入院3日目

退院の話はご破算。

抗がん剤が思った以上に減りが遅い。
本来ならば今朝なくなっているはずらしいが、残りがありそうな感じだ。
結局この晩になくなる事になるが。

朝食が食べられない。

吐き気もあまり変わらない。

ポートを埋めた傷口は日に日に回復している感じがする。

それはそうだが。


入り口側の隣の老人も会話が聞こえてくる限りでは、同様にポートを埋め込んでいる
ようだ。
両隣の患者は夜看護師を読んで手当をしてもらっている。
その灯りで私は眠れないのだが、ある程度の年齢で初めて抗がん剤を行うと体への負荷が
大きいようだ。
それは30代の私と基礎体力が違うせいだろうが、聞いていて私にはそんな症状起きない
ぞと思いながら聞いている。
もっとも使っている薬が違うだろうが。


私はナースコールで呼ぶほどの症状はない。
点滴がなくなった時以外はナースコールは使っていないと思う。


抗がん剤は体力を奪う。
だから体力がないと行えない。

手術の後で体力が落ちているところに行うのはキツいだろうなと思う。


抗がん剤は、言うほど報われないと思う。
延命率は10%ほどとも聞いた事がある。
高額治療である。月額10万だとしても年間120万もかかる事になる。


費用対効果は、聞きたくなくなる。
近藤誠さんが抗がん剤不要との主張があるのも頷ける。


抗がん剤を使おうと使うまいと。
ガンにかかろうとかかるまいと。
人間は死ぬ。

有史以来、死ななかった人間はいない。


不要な苦しみなど必要なのだろうかと考えさせられる。
平均寿命は統計に過ぎない。
早く死んだとか長生きしたとか何故判断できるのか。
何歳まで生きるか契約してから生まれるわけではない。


いろいろ書いてしまったが、当の私は周囲が思うよりも気を楽に考えている。
仮に全身に広がっているとしても即死するわけではない。

このブログで強調したいが、
ガン、転移 = 即、死
って誰が決めたんだと聞きたい。

そう決めつけた人は不老不死なのか。
違うはずだ。


いつになるかわからない死よりも目先の便秘の方が苦しい。


主治医Sが夜来た。
来月CT検査を行うにあたり、造影剤で吐き気があった事が以前あった。
再び造影剤を使って良いものかどうか確認しに来たのだ。

いつも思うのだが、主治医SからPET-CTの事を聞かれるのだが、主治医Bは
転院に際し、資料を送っていないのだろうか。
何故受けたんですよねと何度も聞かれるのだろうか。
次回の外来でその話になったら聞いてみようと思う。


主治医Bが添付忘れなんてすると思えない。
あるとしたら、前の病院の看護師のミスかもしれない。


主治医Sからは明日の朝に薬がなくなりそうなので、それを待って退院しましょう
という話になった。


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2013年6月8日土曜日

入院2日目

入院中はよく眠れない。

吐き気と頭痛とでそれなりに眠れると思っていたが、隣のベッドが騒がしくなり、
睡眠を妨害された。
もちろん、隣とて妨害するつもりでナースコールしたわけじゃないだろうから責める
事などできないが。


とにかく吐き気。

頭痛は、元々頭痛持ちなので我慢ができるが、吐き気は我慢ができない。
入院した当初は余裕をかましていたが、薬が入ってくるにつれて吐き気が増す。
ポンプもうっとおしい。
ポートを埋める為に切開した傷口も痛い。

とてもじゃないが、持ち込んだ本を読もうなんていう気分にはならかった。
なれなかった。

2日目の食事は、朝晩が食べられない状態だった。

特に酢の物が寄せ付けない。

ただ、食事制限がないのが幸いして売店にチョコレートを買いに行く。
口をごまかすためだ。


下痢は、ない。
むしろ便秘と言える。

出る気配が、まるでない。


そう言えば、前回のゼローダの入院の時も便秘に苦しんだ

前の病院から処方されたマグラックス(便を柔らかくする薬)があるから
一年前のであるが、使うべきか悩む。


夕方、看護師が来る。
急遽退院が決まってんですってね。
いや、聞いてない。

何度か入院した経験から言わせてもらえば、この手の情報は大抵が誤報だ。
でも、早く退院したい気持ちから信じてしまいたくなる。
そもそも主治医から言われずに看護師が又聞きのような形式で聞くのは
信頼性に欠ける。


ともかく今後の外来での治療の受け方について説明を受けてくださいと言われ、
移動する。
前の病院と比べると、ちゃちいかなという印象だ。
でもシートの色は緑色で専門の看護師の話を聞いていると、吐き気が強くなる。
今効いている副作用以上にXelox療法のトラウマなのではないかとも感じている。


説明を聞いていると、入院病棟と点滴室の看護師の認識の差を思い知らされる。
「あれ?聞いてないんですか?」みたいな展開になる。
病院に限らず、普通の会社でもある話かと諦める。


ベッドに戻る。

すると、主治医からは正式な退院の話はしてないと別の看護師から言われる。
私が勝手に言ったみたいな展開になっている。
先生からは直接言われていませんという事だけは来る看護士全員に強調しておいた。


晩ご飯の時間だ。
食べられない。
酢の物を寄せ付けない事は書いたが、この段階では白米を食べる事すら苦痛に
なっていた。
出されたライスを食べられないなんて私の人生では数えるほどしかない。
それだけ食欲が落ちる事は経験した事がない。


眠れぬ夜が明けて行く。


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2013年6月5日水曜日

入院1日目

去年、緊急入院含めて3回しているせいか入院の準備は慣れてしまった。

前日のうちにほとんど準備を終え、家を出る。

最寄りの駅に早く尽き過ぎたのでスタバで休憩。
前の病院なら歩いて10分ほどだったが、今回はバスとタクシーを使う事にした。
30分ほど朝の人の少ないスタバで「また、あの思いをするのか」と不安が駆け巡った。

抗がん剤は辛い。
辛い割に効いていない場合がある。
抗がん剤で治るとは限らない。
治っても転移と再発の危険がある。

だいたい時間通りに到着。
手続きを済ませる。

身長と体重を計測して着替える。

まずポートの埋め込みからだ。


ポートとは、抗がん剤を流し込む入り口だ。
パソコンについているUSBポートをイメージしてもらえるといい。
あのような役割をするものを皮膚の下に入れる。


レントゲン室にて手術を行う。
局所麻酔で意識は、はっきりとあるのがイヤだが。

通常はそんなに時間がかからないらしいが、私の場合はアトピーで血管が
わかりにくいのが災いして時間がかかったらしい。

術中は、チクッとするとメスを入れられているのか、ズキっとすると今
何か入れられているのかと感じてしまうので早く終わってほしかった。
最近、医療のドラマをよく見る時間があるので余計にビジュアル的に想像して
しまう。

左の鎖骨の下辺りに埋め込みが完了した。
痛い。
久々に運動をしたような痛さだ。
実生活ができないほどではないと思うし、時間が経てば感覚に和らぐだろう。


昼食後、点滴が始まる。
これまでは点滴は腕にするので看護師に何度も打たれていたが、ポートがあるので
一回で済む。

徐々に気分が悪くなっていく。
抗がん剤のせいか、ポート埋め込んだ傷口が痛むのかは、わからない。
両方かもしれないし、メンタル的なものかもしれない。

食欲は、とりあえず落ちてはいない。
風邪ひいているような感じなので動けないわけでもない。


薬剤師が薬の説明に来た。
2日弱ペットボトルのような容器に入った抗がん剤を注入していく。
その過程で考えら得る副作用を聞いた。
全部起こるとゾッとするが、下痢と脱毛は避けられなさそうだ。

下痢は下痢止めでどうにかなるかもしれないが、脱毛はウィッグというのは
心もとない。
駅など歩いているとカツラの人はすぐわかる。
「カツラと気づかないのは本人だけ」と誰かの冗談を思い出すが、やはり自分の
毛それも年相応の髪質というものがあるのだろう。

今、短髪にしてショックを和らげるようにしているが、3〜4週間後という事で
伸びてしまうのではないか不安だ。
本人的にもショックだが、周囲の反応を考えるとそちらの方がショックだ。


もうガンである事を隠せない。


化学療法の第2戦が始まった。



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2013年6月1日土曜日

入院準備と歯医者

決まったからには入院準備だ。
その前に自動車税を納めて歯医者に行った。

病院から行くように言われていた。
抗がん剤で抵抗力が落ちる上に口内炎みたいに荒れる事もあるそうで
ムシ歯があると治療できない可能性もあるので事前に確認してきて
くれとの事だった。


歯医者なんて何年行ってないか思い出せないくらい行ってない。
まして化学療法行うのでなんて今まで行っていた歯医者には言いたくない。


歯医者なんていくらでもあるので助かる。
予約を入れて行く。


レントゲン撮影をして確認したところ、ムシ歯はなかった。
何年も行ってないわりには歯がキレイらしい。


歯垢を取る事になった。
まあいいかと思った。
この際、キレイにしてしまえ。


化学療法を行うのに歯医者に行けとは。
前の病院では言われなかった。
抵抗力が落ちるとは口の中が荒れると言う意味では、前の抗がん剤も
同じだったはずだ。


ガイドラインに沿って標準化されているはずの治療を行っているはずなのに
進め方が違うのか。


帰りに近くのイトーヨーカドーで買い物だ。
入院するのでスリッパや下着、パジャマを購入した。
体にポートを埋め込むので前の開く寝巻きを用意しようと思った。
浴衣や甚平があるが、一着くらいパジャマがあってもいいだろう。

イメージ的にはこんな感じの「いわゆる」パジャマだ。



もちろん私はこんなイケメンのお兄さんではない。


今回は入院というか退院が不安だ。
下痢をしているからどう帰ろうだ。

車で迎えに来てくれる家族は母だが、仕事かもしれない。

タクシーを使うのが無難だろうか。


去年3回も入院したから入院するまえは病院が変わろうとも気持ち的には
慣れてしまっている。
下痢をして帰宅するというのは、今後の通院の課題でもあるから考えないと
いけない。



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